12月以来ものすごく久々の投稿となってしまいました~!
四人目の女の子が令和3年1月24日に産まれました。この話はまたゆっくりと。

一人目の誕生では、なんだか初めて親孝行したような気持でした。二人目の誕生は、兄妹を作ってあげられたなという達成感。三人目はようやく自分のために産めたような気持ち。四人目は、ようやく夫婦が同じ方向を向けたという感じかな。何はともあれ、家族みんなが彼女にメロメロ虜です♡

四人の母となり産後2か月半。毎日がバタバタ時間と疲れに追われていますが、ここにきてまたコロナで世の中が騒いでおり、息子のサッカーの練習がお休みに。ようやくウェブサイトに取り掛かれたchikraです、またよろしくお願いいたします♬
あ、ちょこちょこと作っている手仕事は今は産前産後にお世話になった方々へのお礼。お世話になりまくりすぎて、お礼が全然まだ追いついてないんですがね。あとは、娘と息子の音楽袋・・・

息子のは失くしたというので・・・なぜだ・・・前日に作りました・・・夫の履かなくなった昔のジーンズで。

娘のも前日に慌てて・・リバティーがあったので使いました。
長男の不登校
うちの長男は小学校3年生の夏休み明けから学校に行けなくなりました。
行きたいけど「行けなかった」です。顔色が悪くなり、お腹が本当に痛くなるし、抱え込むほどに頭痛も訴えていました。病気なのか?と思い病院に検査に言ったりもしましたが、やはり学校に行くのが本気で辛いんだなというのが分かってきます。
その後は中間教室という、学校から少しだけ離れたその教室に毎日元気に通うようになります。
中間教室は学校からすぐ近くにあるので、うちの息子は給食だけは毎日教室に食べに行っていました。正確には、給食費払ってるんだから食べに行けーー!と、行かせていました。
払わなくても良かったのですが、なんだかこれをやめてしまうと、学校とのつながりが途絶えてしまいそうで、もう学校に戻れなくなるんじゃないかしらとも思えて、給食費の支払いを続けていました。でもこれは、正しいのかな?と分からずにいました。今も分からない(笑)
担任の先生は、不登校になってから最初はどうしたらいいのかわたしも手探りしながらですが・・と正直な気持ちを私に伝えてくれながら、「いつでも来ていいからね!!」と息子には伝えてくれていました。来れそうな授業だけでもおいでと、一週間の時間割も毎週届けてくれており、長い間ほぼ行けなかったのに時間割を届けることは続けてくれました・・涙。たまーーーーーに、体育や行けそうな授業だけ行ったりしてたみたいです。
担任の先生も、給食や好きな授業だけたまーに行く、そんな特別な感じでも大丈夫な雰囲気を教室で作ってくれたのだと思います。普通なら、ずるいいーー!ってなりますよね。それだと給食だけ毎日食べに行くことなんて出来なかったと思うのです。実はわたしは、給食費払ってるんだから行けー!と言いながらも、給食だけよく食べに行けるよな~と内心思っていました。
息子は何があったというわけではないようなのですが、気が疲れると給食に行くのが辛い日もあり、そういう日はお弁当にして中間教室でお昼も食べていました。そんな生活が1年半続きました~。
長男の次のステップ
原村の小学校は冬、校庭がスケートリンクになり、体育の授業はスケートを滑ります!

その光景の美しさ…ここに住めている幸せを感じます。今年は夫がリンク作りのPTA作業に参加しましたがなかなか大変だったようです!多くの方々の協力がないと続けられない校庭スケートリンクです。
息子は、スケートの授業は行こうかな~と言い出します。スケートやりたいな~と。スケートは1時間目か2時間目にあるので、朝から学校に行かせる絶好のチャンスだと思いました。
これまでの中間教室に通う期間で、息子はもう十分に充電期間を過ごせたとわたしは感じていました。色んな先生に見てもらえたことで、沢山可愛がってもらい、愛され、尊重され、普段なら出会えない出会いが多くありました。中間教室は長男にとってはとても居心地の良い、楽しいい場所でした。
朝、妹は普通に学校に行くので7時半ころ家を出ます。中間教室は9時ころ開くので長男は8時半頃出ます。この朝の1時間にマンガ読んだりダラダラする息子の姿にわたしが嫌になっていたのもあり、スケートに行くために毎朝学校に行こう!!!と、大きな一歩へ向けて提案しました。
そして、わたしたちの戦いが始まりました(笑)
毎朝登校させる戦い
中間教室で十分充電期間を経たこともあり、スケートに行こうかな~と思えた息子。
これだけではなくこれまでにも、何かをきっかけに行けないかと何度も試みたことはあったのですがどれもダメでした。(笑)
とりあえず、スケートのある日は朝から登校してスケートの授業が終われば中間教室に戻ろう!ということにしました。
やっぱりお腹は痛くなるし、朝から嫌だ嫌だと泣いたりしました。でも、思いっきり背中を押したり、こんこんと説得したりしてなんとか、学校に行かせました。まずは一週間。
これがやはり、親としては大変なんですよね。不安と心配で・・・。
よーーーーーーーく、話を聞きました。何が不安?じゃあどこまでならやれそう?いや、それは乗り越えられるハードルだと思う。じゃあ、こうなったときは、こうしようよ!などなど、話し合いを重ねます。話し合いにならないことも多々ありました。もちろんムカつくこともあったし、いい加減にしろーーー!!!!と怒鳴ることもありましたよ。
不安なことは、授業が分からないのが不安。何が必要か分からないのが不安。とかが多かったかな。ひとつひとつじゃあこうしようと解決しても、ずっしりのしかかる大きな不安はやはり拭えず。最終的には考えすぎるな!とにかく行くんだ!!と、なったかな。
本当にこれが息子のためなのか?ここまでやったらまた逆戻りなんじゃないか?何が正解かなんてわからない。ただ、もう、信じてやるしかなかった!

↑この写真、夫顔出ししてますが。。ごめんね(笑)
泣いて登校をいやがる息子に、「大丈夫だから。行けば楽しいから!」とかなんとか色々と話を重ねて強めに背中を押しつつも、大丈夫なのか心配でたまらない夫の表情。
わたしは、一人じゃできなかったなと思います。夫の、この、これでいいのか?心配と不安がたっぷりありつつも、息子を信じて背中を押すこの様子が、わたしにも息子にも必要だったと思っています。わたしとほとんど同じ気持ちでいてくれた安心感はとても大きかったです。
あと、もう一つ絶対に必要だったと思うことは、担任の先生への信頼感。
担任の先生とはちょこちょこと連絡を取り続けていくうちに、この人のことを信じて息子を託しても大丈夫だなという信頼感が育ってきました。
忙しい中でも給食に来た時の息子の細かい表情を読み取ってくれていたこと、ほぼ行かないのに毎週時間割を届け続けてくれたこと(これ、大変なことだと思うのです。続けることが苦手な私からすると多大な尊敬に値する)、いつ来ても大丈夫なようにしてありますと何度もわたしに伝えてくれたこと、バス旅行の日はぎりぎりまで考えて朝来れたらでいいから来てほしいと待ってくれたこと、スケートが終わってからも息子が登校しやすいように一時間目を毎日体育にしてくれたこと・・・書き出せばキリがなく、書きながら感謝で泣けてきます。。。
あともう一つ、中間教室の先生との密な連絡でした。
今日はスケートが終わって帰ってきましたよ!元気にこんな話をしてくれました!とか、今日はなんと4時間目まで学校で過ごせましたよ!心配して待ってましたがものすんごいどや顔で戻ってきましたーー!とか、こんな様子でした、めちゃくちゃに褒めておきました!と、その日の出来事、息子の様子を沢山の愛を込めて、伝えてくれました。担任の先生との連絡も細かくよく取り合ってくれていたようです。
こんな風に息子は、沢山の人に愛され尊重され、どこかで失ってきた自信を取り戻したことで、どこかでついた傷も癒え、大きな一歩を踏み出せたのでした。
ふぅぅぅぅぅ~。

息子は本当に優しくて、末の子を見つめるまなざしは母親級です(笑)
こうして、長男の人生にとって、私たち家族にとって、とても濃い1年半が終わりました。
四月からは5年生!クラス替えと、新しい担任の先生との出会いがあります!
(続く)